ブログトップ

おおもり歯科医院

omoridc.exblog.jp

カテゴリ:idea( 4 )

診療時間について

おおもり歯科医院の特色のひとつが診療時間です。
開業にあたってはこの診療時間というものを決める必要があるのですが、一個人診療所であること、一歯科医であると同時に一家庭人であることをふまえ、他院ではあまり見かけない診療時間としました。
お越し下さる患者さんにとっては不便なところもあると思いますが、細く長く診療所を続けていくために出した結論です。

診療受付 午前8:00~11:30 (月~土)
       午後2:30~5:00(月・火・水・金)
       日祝休  木・土午後休 


会合で出会う先輩の先生方から、終了時刻の早さに驚かれます。
5時までといってもあくまでも受付時刻で、最終アポイントが5:00です。
ですから仕事を終えて鍵を閉める時刻は6時をまわります。
それでも早いですね。

もちろん朝も早めで8時から診療をさせてもらっています。
この8時からというのも珍しいですね。

おのずと自分たちの生活は朝型になります。
そして子どもがまだ小学生なので夕食は毎日家族揃って食卓を囲みます。

実は診療時間を決める際、基準としたのが「家族揃って晩ごはんを食べる」なのです。

開業前は、「それは甘いんじゃないか」という声もありましたが、わたしはこの選択は間違っていないと思っています。
最近では先輩の先生方から、ちょっと羨ましがられたりもしています。

診療時間が合わなくて、受診いただけない方も多数おられるでしょうが、ご理解いただきたく存じます。

院長
[PR]
by omori-dc | 2008-01-21 18:42 | idea | Comments(0)

無可無不可(かもなくふかもなし)

わたしはおおもり歯科医院を「可もなく不可もない歯科医院」にしたいと思っています。

「可もなく不可もなく」というと「当たり障りがない」とか「まあまあ」とか「ほどほど」とか「ぼちぼち」とかそういう意味で使われますね。
実際に、何でもほどほどがいいと思っているので、腕前まあまあ、愛想もまあまあ、そして儲けもまあまあになれば何よりです。

別のところと比較して気に入ったとか気に入らないとか人それぞれお感じになるでしょうから、可だったり不可だったりもするでしょう。
だからどなたにとっても「可もなく不可もなく」とはいきますまい。

少なくともわたしたちが「可もなく不可もなし」と意識していたいですね。
この場合の可もなく不可もなしは禅の言葉にある「無可無不可」。

物事のよしあしをはじめから決めつけない

「あれはよし、これはだめ」と自分の判断で決めつけず、何事もまっさらな状態で向き合うこと。
分別や執着から離れ、可も不可も超えた境地で何事にも対処する。

また、苦あれば楽ありという意味でもあります。

歯医者さんはこわいところ、痛いところ、行くのが嫌なところ、という側面はありますが、それを乗り越えると思い切って行ってよかったところになるかもしれません。

一大決心で通い始め、毎週通うのが習慣になって、終わってみると何だか寂しいわね、と思ってもらえるような歯科医院っていいですよね。

そんな可もなく不可もない歯科医院になれるよう、まずはわたしたちがかたよった考えではなく、フラットな心でいたいと思います。

院長
[PR]
by omori-dc | 2007-11-15 08:59 | idea | Comments(0)

わたしたちができること

おおもり歯科医院は保険医療機関ですので、主に保険診療をさせていただいています。
中には保険外のほうがよい場合があるので、そういうときはご相談させていただくことになります。
でも、ベースに保険診療があることに変わりはありません。

ですから、まずは保険診療の中でできる範囲のことをきちんとすることを常に心がけています。
わたしは国民皆保険というすばらしい制度があるわけですから、保険医としてできるだけのことをやりたいと考えています。

保険診療は決められたルールに則って行わなければなりません。
決められたルールの中で、わたしができる限りのことを提供させていただいて、どうしてもルールで認められないもののほうがよい(たとえば見た目へのこだわりなど)ということであればきちんとご説明させていただいて、選んでいただくことにしています。


わたしは大学の歯学部を卒業してからすぐに一般の歯科診療所に勤務しました。
歯科治療といっても子どもからお年寄りまでいろいろな分野がありますが、とくにこれといった特定の分野をつきつめたわけではありません。
言ってみれば取り柄がないわけです。
博士号を取得したわけでもなく、専門医や認定医といった称号もありません。
特別な治療や最高の治療ができるわけではないのです。

自分にできることをわきまえて、できる範囲のことを精一杯させていただこうと思っています。

患者さんと同じ目線の高さで、患者さんとともに歯科医療に取り組みたいと考えています。
気軽に何でも相談していただけるような歯科医院をめざしています。

身近なかかりつけ医、家族揃ってかかれるホームドクターになるのが歯科医としてのわたしの目標です。

よろしくお願いします。

院長
[PR]
by omori-dc | 2007-09-05 09:52 | idea | Comments(0)

基本姿勢として

わたしたちの歯科医院の基本姿勢として、安全であることというのがあります。
できるだけ、体にやさしい治療を提供できたらと考えています。
その中の一環として、医薬品に頼りすぎないということがあります。

できるだけ刺激の強い薬剤の使用は控えたいと思っています。
もちろんまったくゼロというわけにはいきません。
今のわたしたちができる範囲では最小限に、というところで努めているつもりです。

ハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンというところでいえば、自ずと後者になるでしょう。

そのあたりはご理解いただきたいと思います。

そういう姿勢でスタッフ一同が賛同して取り組んでいます。

ある本からわたしが共感を覚えた言葉を抜粋してみます。
仏教に関する本、「足を知る」こころ/松原泰道 から。

テクノロジーの「行き過ぎ」を制御する知恵

大城 情報氾濫の時代になりまして、恐らく煩悩も、それを救うものとしての『般若心経』の意味だとかもまた情報化してしまっているのではないでしょうか。
『般若心経』の根本とまったく離れて、たとえばこれを読めば何か現世利益があるというような軽薄なものになっていくと思われませんか。
周囲にあるすべてのものとの縁起によって自分が救われるんだということ、そこまで理解する余裕がないんですね。

松原 ほんとに余裕がない。毎年受験シーズンには、藁にもすがる気持ちで、お経をあげたり絵馬を出したりするんでしょう。
祈ることは何も悪いことではありません。
私だって孫が受験のときにはパスするようにと祈りました。
ただその祈りがエゴイズムだということを、どこかで気づかないといけないんです。
うちの子供がパスしますように、ということは、裏から言えば誰か落っこちますようにですよね。
受験浪人の悲しみの上に自分の幸せがあるんだということをわかることが本当のご利益というものなんです。

中略

松原 ですから私、昨今の臓器移植の問題に、仏教徒として一言申し上げたいんです。
仏教の思想からいうならば、欲が悪いんじゃなくて、とらわれることを非とするわけです。
だから人間、長生きしたいという欲望が悪いんじゃないんです。
それにとらわれて他人の内臓までもらおうという執着、それも外国まで行ってカネに任せて臓器をもらってくる。
仏教徒として私は、それはいけませんと言うのが親切だと思うんです。
ただそう言うものの、もし私の身内の者がそういうことになったときに、果たして臓器移植をあきらめきれるかどうか不安になります。
ですが、そういう弱みがありますから、ここでブレーキをかけておかなければならないと強く感じます。
同時に、先端医学の先生たちにも適当なところでストップを、ブレーキをかけなければいけませんと申し上げたい。

大城 私は、一部の人が創造・開発した小さな知恵を、もっと広い全体の知恵に広げていく知恵が出てくるといいなと思うんです。
しかし脳死を認めるという考え方が、一見進歩に見えて、先生のお説によればやっぱり退歩じゃなかったかというふうに解釈されるところに、今日の日本の病弊の象徴的な事情があるんじゃないでしょうか。
テクノロジーというものは、それ自体に成長進歩へ向かう本能的なエネルギーを内包しているわけですね。
たとえば医学に携わる人が医学の視野だけで見ていると、人命を救うために臓器移植が必要だ、そのためにはどうしても脳死を認めなければならない、というふうになってくるはずなんです。
ですから、問題はテクノロジーの本能をいかに制御するかにあると思うんです。
二宮尊徳の言葉に、農業の要諦は「天理に従って種をまき天理に逆らって草を取る」というのがあるんです。
草を取ることは天理に逆らっているように見えながら、ほんとは天理に従っているわけですね。
つまりわれわれはどこでバランスをとるかを考えなくてはならないわけです。

松原 おっしゃるとおりですね。自分の命はいただいた命であって、自分でつくった命じゃない。
『般若心経』でいえば空のものなんだからいつかお返ししなければならない。
それが『般若心経』のこころでもあると思います。


臓器移植に対する考えについてはたいへんに深い問題があると思います。
わたしも臓器移植に対してはいまのところ賛同しかねます。
臓器売買は、命をお金でやりとりしているとしか思えません。

もちろん肯定される方の考えというのも正しいと思います。

ただわたしの共感できるバランス感覚という点においては、どうしたって行き過ぎのテクノロジーには歯止めが必要だと思ってしまうのです。

現実を受け入れる精神的余裕があったほうが、豊かな気持ちで暮らしていけるんじゃないかと感じています。

ですから、仏教的な思想に共感を覚えるのだと思います。

松原先生の言葉からもう少し抜粋させていただきましょう。

物が豊富になってもなぜ心が貧しいか、それは心を置き去りにしてしまったからだという素朴な訴えなのです。
物が豊かでも心が貧しければ、人間は人間でなくなるのです。

今、話題になっているようなさまざまな問題児を生み出すのは社会だと言うけれど、その社会をつくっているのは大人ですし、そうなった理由は、やはり大人の心が物事を機械的に処理していく「機心」だからではないでしょうか。



科学技術の発達に惑わされて失った人間性を回復する、というと抽象的になりますが、そのために私たちが日常的にできることを一つひとつしていこうではありませんか。
まず「足ることを知る」すなわち「知足」の実行です。
知足の英知を身につけることです。



もう一つ、私たちは共生ということも考えるべきだと思います。
とかく、人の世話にならないとか、人には迷惑をかけないと言い張るけれど、人間の生活において絶対にそんなことはできるはずがないのです。
仏教的に、特に禅の立場では、自分の見方に固執する思い上がりを「見取見」といいます。
エゴ丸出しで自分中心に考えると、独断や偏見が生まれる。
それを慎むことが大事だと思います。
網の目は、他の目がなければ自分の目もないし、逆もしかりです。
これと同じことで、人間は一人一人、他から影響を受けているし、他にも影響を及ぼしてもいます。
そんな繋がりの中に個々の人生があると考えるべきです。
人間は、他に迷惑をかけなければ生きられない、たいへん弱い存在なのです。


少し話題はそれてしまいましたが、わたしはこういった考えにとても共感を覚え、こういった考えに基づいて歯科医療を提供したいと考えているわけです。

病気を治すことについては機械を直すのとは根本的に違うということをまず知っておく必要があるということです。
どうしてもわたしたちの分野は歯という部品を直す修理工のような感覚に陥りがちですが、決してそうではないということ。
歯や歯のまわりの組織を治すためにはまず患者さん自身の力が必要であるということ。

わたしたちは治したい、治りたい、という強い思いに対してサポートをさせていただくに過ぎないということを知る必要があると思っています。

そしてわたしたちもまた非常に弱い存在であり、網の目の一つとして、存在しているのです。

わたしたちのエゴで歯科医療をやろうなどと考えないように努めたいと思います。

このような考えに基づいて、地域のみなさんの何らかのお役に立てたらと考えています。
[PR]
by omori-dc | 2007-02-15 22:00 | idea | Comments(0)